life-11
――
――欲しいものが手に入らなくて泣いているのに、欲しいものが一体何なのかを言い出せない。
――
.
子どもを見た。
僕によく似た、子どもだ。
その子はショッピングモールの出入り口で、泣きながら母親にしがみついていた。母親がどうしたいのと尋ねても、首を振って涙を流し続ける。
僕も、同じようなことがあった。
手に入らなくて泣いているのに、一体何なのかは言い出せない。
もし、万が一。
叶えてもらったらどうしよう。どうやってお返しすればいいのか。どうやって代償を払えばいいのか。そんなことばかり思って、話すことができなかった。
でも、口惜しいのだ。伝わらないのが。
欲望が叶えられないのが。叶えられていないことを伝わらないのが。伝えようとしてしまっている後悔を飲み込むしかないことが。そんなことばかり考えて、話すことができなかった。
所詮は、欲望。
口に出してしまったら、それは我侭だ。
あの子もいつか飲み込んだだろう。涙ごと、欲望を押し込めただろう。そうやって店から去っていっただろう。
帰る前に、僕は振り返ってあの子のほうを見つめるけれど、もう居なかった。
もしかしてあの子は僕自身だったんじゃないだろうか。
そんな欲を飲み込んで、僕は今度こそ店から去る。
2012 / 3 / 27 • 9:47 pm • 1リアクション
graduate-04
聞いていますか、この台詞
紅白幕と飾り花 窓から雪が覗いてる
座る僕らと向かうステージ
呼ばれ受け取りまた座るんだ
それは儀式と別れの合図
君の声だけ白へと変わる
思い出語るの耐え切れなくて
止まらない その時間
だって明日は会えないんだから
立ち上がる皆と響く歌声
式は中盤涙ぐむ椅子
それは理解と寂しき合図
君の顔だけ白へと変わる
思い返すの耐え切れなくて
止まらない その時間
だって彼らは進むんだから
答辞の時間は君の出番だ さあ立ち上がって 僕が願うさ
聞いていますか、この台詞 時間を止める魔法の開始
僕らの耳が白へと変わる
思いばかりを受け止めたんだ
止まらない 君の声
だってみんな知っているから
君の声だけ空へと届く
思いをやっと空に飛ばせた
止まらない その時間
だって君とはここでお別れ
止まらない 遠ざかる
明日元気で歩いてください
2012 / 2 / 4 • 2:06 am
2010-03 結婚式の話 その三
正直緊張ものである。
なにせ受付の経験なんてそうあるものではない。高校の文化祭なんかでも内部で動くほうだったからそういう担当になったことはなかった。正直どうして受付役になったのか分からず両親に訊いたけれど、そういったのは若年でやや遠めの人が行うらしい。新郎側は新郎友人が行うとのことで、責任が増した感じがある。
控室に戻り、伯母が私たちをいとこでなく受付役と紹介したことについて話題にしひとしきり笑っていたところで、係の人がやってきた。「受付をされる方はいらっしゃいますか」は、はい。来たかと思いながら袋を持ってカウンターへ向かう。
受付場所は階段のすぐそば。隣では同じように新郎側受付の人が説明を受けている。完全に別個らしい。まあ新郎側の人の顔と名前を把握しろと言われても無理だけれど。
新たに祝儀用の袋やらチェックシートやら渡されて、受付終了後における祝儀袋の扱いなどの説明を受ける。頷くしかない。受付時の受け答えマニュアルでもあればいいのに、と思いながら、従妹とカウンターの椅子に座る。案内役と預かり役に別れろと言われたので前者を従妹に任せる。
従兄と下の従妹が私たちの姿を見て笑いにきた。まだ招待者は来ない。デジカメでひとしきり遊びながら、受け答えを練る。こちらのほうに名前をお願いします。お預かりします。こちら席次表になります。泣きたいです。
座席表を眺める。丸テーブル制。幼いころ連れられた時は長テーブルだったからその時よりは居心地は良さそう。確か親類は新郎新婦から離れたところだったっけ。写真は撮りにくそうだから私と従兄が撮影時移動しよう。いろんな話が出る。
そのうち受付の仕事が始まる。
最初はぽつぽつと、それでも連続して新婦側友人が来た。つっかえながらも喋るべきことは喋る。従妹は固まりっぱなしなので席次表渡しと祝儀仕舞いを任せる。新郎側受付は二十台後半の方で普通に落ち着いている。
控室から親戚も出てきた。並び始める。もうてんやわんや。なにせ記名と祝儀袋の名前、チェックシートの名前がそれぞれ一致しないのである。世帯主などの関係があるのだろうけれど、付き合いがあるわけでもなく顔から名前を導けない。
そこに我が父が通りかかった。助けを求める。父は私よりいくらか詳しい。もう任せてもいいんじゃないかと冗談を言いながら、チェックシートと祝儀名を一致させる。
なんとかなったんじゃないだろうか。たぶん。最後の人の受付を終え、一息つく。もう一度祝儀を確認し、仕舞いこんで預けに向かう。
終わってみると、もう少し上手くできたのではないかなんて考えが浮かぶけれど、めったにできない体験だったし、楽しいと言えば楽しかった。受付でこの緊張なら他の役目はどんなに大変だろう。
あとは披露宴でいいのかな。たぶん、いろいろ食べて写真を撮ればいいだろう。役目さえ終わってしまえば怖いものはないのである。
カラオケなんて急に振られたりしないよね、と訊いてみたら、そういうのも全て前々から決められているらしい。次第を見ると確かにあった。友人一同などの名前に、我が父の名がある。
お父さん、歌うの。そうだよ、親類で。
初耳だった。父の歌唱力に関して心配はしていなかったものの、そういう役目もあったとは。曲名も分からないけれど、結婚式では定番だと隣の母に教えられる。
分からないことだらけだった。固まっている従妹をどう考えても笑えない。
やがて披露宴の時間がやってくる。暗転。司会の声。スポットライト。晴れの衣装。
実はあまり覚えていない。あまりにいろんなことがあるのだ。あいさつ、スピーチ、お色直し、ケーキ入刀、余興、スピーチ。特に役目があるわけでもないし、流されていればいいのだろう、と思ったのは記憶にある。
驚いたのは父についてだった。唄。もともと前に出れば物怖じしない性格だとは知っていたけれど、あれだけ堂々と。母と座りながら我が父はさすがだと呟き、従妹はおじちゃんすごいと言っている。こういう冠婚葬祭のときに最も両親の強さを感じる。あれはどういう感情なのだろう。たぶん尊敬。
大伯父のスピーチがしどろもどろだったり、新郎側友人の余興が下ネタだったり、新婦側友人のカラオケが緊張しっぱなしだったり、なんだかいろいろあった。
余興の後だったか、写真撮影の時間があった。というより、お色直しの時に私たちいとこが披露宴場の外に出ると、ちょうど新郎新婦が準備をしているところだった。
せっかくだから写真を撮ろう、という。華やかなのがいいだろうと従妹二人を新郎新婦と並べ私や従兄がシャッターを切る。私も入れと言われる。兄弟も撮ろうと言う。みなこの時を写真に残そうとしていた。
ちらと新婦の顔を見る。マスカラをつけすぎていると母が言っていて心の中で同意する。どこか固まった面持ちだった。結婚式において新郎新婦というのは次第をこなすので精一杯だろうし、そういうことだろう。
やがて再入場の時間がやってくる。披露宴が終わり次第もう一度写真を撮ろうと皆が言う。
私が思い出すのは、数年前のことだ。
実家に遊びに行った時。従妹が学生のうちから化粧を始めたという話題で盛り上がり、日常でそんなに化粧濃くなくてもいいでしょう、と従姉がいう。そういうのはなにかイベントがあったときでいいの。そんなことがあった。
今目の前で、従姉は化粧している。晴れ舞台で。
ラストとなるスピーチは良かった。写真をもっと撮っておけばよかった。結婚式における重要シーンというのも頷ける。
披露宴が終わってから三十分後くらいにはもうバスが出るらしい。今のうちに準備しておきなさい、と言われる。袋とかをまとめ、料理を容器に入れる。
そして締めの言葉。時間は早く進む。ばたばたと外へ出る。
お見送りとして新郎新婦が扉の横に立っていた。写真撮影に応じ、お土産となる金平糖を渡し、挨拶をしていた。すぐに外の通路は一杯になり、私たちは並ぶ。
父は挨拶を終えもう向こうのほうにいる。私もさっと挨拶しよう。
順番が来て、金平糖を渡される。
私はおめでとうございますと言う。
新婦が、従姉が、こちらを見る。
「いままで、ありがとうね」
流されるように通路を後にする。従妹はまた写真を撮られている。
バスへと向かいながら、新婦の言葉を思い出していた。
これを書いている今も、あの言葉の真意はつかみきれない。
聞いた当初は受付の役目のことだと思った。でもたぶん、違う気がする。年が離れていて遠かった従姉の姿だったけれど、ああいう風に声をかけられるとは思っていなかった。
実家に戻ってから再び宴会。私たち若いものは混じるのがつらいので、従兄の部屋で遊ぶ。父も宴会に混ざるから帰るのは遅くなると思ったけれど、それほど長くはやらないらしい。
会場の手続きを終えた新郎新婦が挨拶にきた。宴会のほうに軽く混じっている。その姿はそれこそいつもの従姉だった。
私が結婚式について日記を書こうと思ったのはこの時だった。この一日、体験したことや考えたこと、従姉の言葉を残しておこう、と。それは多分、結婚の重要さというのを感じたのかもしれない。あの時はとくに、新郎新婦が今まで過ごした日々、親戚とのふれあい、そういったものが一挙に押し寄せる日なのだろう。従姉の言葉もそこからでたのかもしれない。「いままで」という言葉にそれを感じた。
宴会場の皆を眺める。いままで、と同じように、これからも、生活は続く。私だって例外ではない。だからこそ、それを形にして確かめるような、そんな結婚式は、いつまでも考えさせられる。
2011 / 11 / 8 • 2:14 pm
2010-03 結婚式の話 その二
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会場は実家から一時間ほど。ホテルと観光所と式場が一緒になったようなところで、前に何度か展望台を見に遊びに来たことがある。展望台はガラス張りの三六〇度のパノラマと銘打ってはいるが、どこを見ても田園だったことしか覚えていない。
入口に着いてすぐ、係の人に案内された。新婦親戚一同控え室。十畳ほどで多くの椅子がある。狭く、すぐに親戚で一杯になる。私たち若年は廊下へ出ることにした。ここから少し進むと披露宴会場、階段で二階ほど降りると入り口と観光所。なんのことはない、建物の中層を式場関連として使用しているらしい。時間があるようなので、私たちいとこは昔話をしながら一通りまわった。
そしていまさらながら、私は式の段取りを知らされる。何せ地元にいなかったから、その辺の話を聞いていない。親も教えてくれなかった。
まずは親戚など近い仲でチャペルでの結婚式、そこから友人・会社関連の方々を招いての披露宴となるらしい。チャペル式かどうかはやはり揉めたらしく、会場の選定なども色々あったらしい。伯母が話していた。つまり私たちの受付の仕事は披露宴前とのこと。会場着いてすぐではないと聞いて、いくらか安心した。
披露宴会場の手前には展示場がある。煌びやかな衣装が並ぶショーウインドウ。こういうところには来たことがなかった。階を降りると観光案内所と土産屋。一通りみて回ったところで、呼び出しがかかった。
先ほどと空気が変わっていた、と言っていいと思う。
控室に戻ると、新郎新婦がいた。
結婚式の衣装に身を包み、控室の壁を背にして親戚の写真攻勢に耐えている。私たちは後ろからそれらをみていて、思い出したようにデジカメを出す。
ウエディングドレスを着て画面越しの新婦は、少なくとも私が今まで見た従姉ではなかった。部屋にいた親戚みなそう見えていたのではないだろうか。動揺とまではいかないが、たじろいた雰囲気がその部屋にはあった。綺麗、と叔母が呟く。
失礼極まりないことだけれど、私はそこで初めて新郎とお会いする機会を得た。それまでは写真一枚である。地元から離れてしまえば案外そんなものなのかもしれない。大人びて物腰の静かそうな方だった。白スーツに身を包み、それでも緊張した彼の姿は、なるほど農協で働いているといわれれば頷けるような顔立ちだった。
新郎新婦、新婦の母、新婦の弟。新婦の母はすなわち私の伯母、新婦の弟は従兄にあたる。彼らが並んで、私は再びシャッターを押す。
そして新郎新婦は新郎側控室へと向かっていった。本当に写真撮影のためだったらしい。しかしながら私にとってはその時間が長く感じていた。
結婚式はどこで行われるのか。それも私は知らなかったから、正直言って驚いた。あの展望台である。中央部のレストランを貸切にし、チャペルのような椅子と台の配置になっている。こうやってみると曇り空に浮いた結婚式に見えなくもない。
席はどうしようか迷って、私は従妹二人と後ろのほうに座る。まあ父母などは前のほうに座るべきだろうし、妥当そう。
親戚勢の入場もそこそこに、式が執り行われる。
歌とともにバージンロードを歩いてくる新婦と、父親役の大叔父。そこから彼女の手が新郎へと移り、二人は祭壇へと向かう。
ここで白状すると、式の様子は面白かった。なにせ親戚は大半が着物である。ましてやチャペルの式など皆あまり経験がない。讃美歌の詞はパンフレットにも書いてあったが歌えず、コーラスの方の声だけが響く。静かというより身動きが取れない状況で、私は新郎新婦を見守る。
先ほどと同じように、新婦の姿は、記憶にある従姉とは異なっていた。顔は変わらず、声も同じで、それでも違いが分かった。たぶんあれは、魔法じゃないかと思う。結婚式という魔方陣で、結婚という媒体で引き起こされた魔法。効果は分からないけれど、少なくとも私にはそれが分かった。その光が見えた。
これが結婚式というのか、と考える。結婚というのはいいものだな、なんて、関係ないのに、そんなことを考えさせられる。これも多分魔法の効果だろう。
式が無事終わる。ブーケトスもまた、コントのようで面白かった。広いところでなんていっても展望台にそんな場所はない。通路を用いて、端に新婦、もう一方の端に未婚の女性が並ぶ。これではブーケトスよりもビーチフラッグのほうが見た目の意味では近い。
従妹二人は遠慮してなかなか通路へ向かおうとしない。とにかく行きな、と背中を押す。何せ高校生と中学生だ。遠慮するのも分かるが、全員が行かないと話が進まない。
準備ができて、新婦が背を向き、ブーケが宙に浮く。まっすぐ向かわず、展望台のガラスにぶつかって跳ね返り端へと着く。傍から見てもちょっと面白すぎる。無事手にしたのは新郎側の親戚らしかった。拾う気がなかったであろう従妹二人がそそくさと戻ってきて、私はまた笑いそうになる。
そのあと、親戚紹介という場が設けられた。お互いの親戚代表者がそれぞれの続柄を説明する。まるで来賓紹介。突然代表者としての仕事がまわってきた新婦の母、すなわち伯母はしどろもどろで、しょっちゅう紹介を間違えた。私と従妹を指して「受付の子」なんていうのである。それではいとこではなくて部外者だ。もっともそれは新郎側も同じようで、なんだか近所づきあいのような大変さが透けて見えた。
エレベーターを降り、控室へと戻る。新郎新婦は続く披露宴の準備へ向かう。友人や同僚の入場の時間が近い。すなわち私たち受付の仕事が刻一刻と近づいていた。
あの魔法はなんだったのか考えながらも、私は従妹とカウンターへ足を向けた。
続く
2011 / 11 / 7 • 12:47 pm
2010-03 結婚式の話 その一
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――いままで、ありがとうね。
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私にはいとこが沢山いる。
当然それは父母の兄弟が多いことを理由としている。父方の親戚とは距離が離れているために集まりでは怖々としていたわけだけれど、母の三姉妹はいずれも近い場所に嫁いでいるから、子供の頃から身近ではあった。いとこと遊ぶ機会といえばそんな母方親戚と会う時であって、特に母の実家へ行く際には遊んだり泊まり会を開いたりしたものだった。
私はその中でも年長組で、上のいとこはふたりくらい。大抵は彼らにちょこちょことついていき、歳の近い下のいとこと遊んでいた。
とはいえここ数年、私は一人ぐらしを始め、昔と比べれば彼らとの交流は減っていた。その折である。最年長の従姉が結婚するとの連絡をもらったのだ。
母の指示通り、当日着る服を持って高速バスに乗って地元へ向かう。バスには制服姿の高校生とスーツ姿の社会人と支払い方に迷う老人が乗っていた。私が外を見ると高速道路からの景色がビルから住宅街、田園へと変わっていくのが見えた。
その夜は家で久しぶりの団欒。そういえば結婚式の作法というのはいまいち分からない。結婚式に出たのなんて五歳頃の一度しかなく、あの記憶を持ち出すにはあまりに月日が経っている。私が受付役と知らされた時は青くなったものだ。ある程度マニュアルがあるらしいから無理に緊張するものでもないらしい。ハンカチを持ってきたか、との父の言葉に、あ、忘れた、と答える。
ところで従姉の趣味は漫画やゲームである。六畳の部屋は幾つもの本棚で壁を覆われ、そのいずれにも沢山の作品が詰まっている。2003年の三陸南地震の際、何よりも先に本棚を押さえに行ったというのは笑い話である。私たち従姉弟はいずれもそれらを教わって楽しんでいた。しかしながら親戚勢から彼女は婚期から乗り遅れた子扱いされていて、端から見ても大変そうだった。親戚付き合いとはそういうものだ。あの日々から時は過ぎ、無事この日を迎えたのだから驚きというか面白いものだと思う。出会いは農協関連らしい。
結婚式当日。
朝は忙しかった。服を着て祝儀を準備し早めに母の実家へと向かう。新婦方の親戚はそこから会場へと向かうからだ。私は適当にデジタルカメラの準備をする。被写体として父と母を撮る。姉が早く家を出たところで、私たちも車に乗り込む。天気は薄曇り、六耀は大安。
当然ながら、実家のほうがてんやわんやだった。出席者は朝に餅を食べてからなどというよく分からない状況となっているし、そのために餅つきがある。そのほか式への準備やら係への説明やら、さすがの多忙ぶり。当人たちは服あわせのため既に会場にいる。
私といえば、久しぶりにいとこ達と会った。どうにも最初はい辛い。同窓会で久しぶりに会った旧友の風情。しかしながらそれは一瞬のことで、いつもの調子を取り戻せるのだからいとこの繋がりというのは不思議なものがある。
係の説明では私と従妹に受付用具一式が渡された。なんのことはない、当日の名簿とゲストブック、祝儀用袋などである。出席者と挨拶をし、ゲストブックに記入して貰い、祝儀を受け取り、などという段取りを説明してもらうが、いまいち感覚がつかめない。もっと年上の人がおこなってもいいと思うのだけれど、いまさらそういうわけにもいかないだろう。問題として私たちは親戚の半数も顔と名前を一致させられることが出来ないので、出席確認などが不安だった。そのあたりは母に頼もうとこっそり思う。
皆デジタルカメラを持っていた。晴れ舞台だから当然だ。新婦の弟、すなわち私の従兄もこのたび新たなコンデジを買ったらしい。皆で遊ぶようにお互いを撮りあう。特に母の三姉妹を撮った時は面白かった。それぞれが「似てない」といいながら、改めて画面として比べるとそっくりなのである。
餅の準備が出来、バスに乗る面子も揃い、皆で和室に移動する。私たちいとこはこそこそと茶の間に移動し、近しい親戚と餅を食べた。お祝いの紅白餅は会場で渡される。ここでは餡子餅。わざわざ餅をかぶらせる必要があるのか、と、前に母が言っているのがわかる気がした。ただでさえ披露宴では沢山の食べ物が出るのだ。
ついに会場の名前がついたバスが来て、私たちは乗り込む。さすがにここへ来ると緊張が増してくる。受付の時間が刻一刻と近づいていた。
もちろんその時私は、結婚式なんていつもの冠婚葬祭と同じように、あまり考えることもないと思っていたのだった。
続く http://save-own-sentences.tumblr.com/post/12454903644/2010-03
2011 / 11 / 5 • 9:33 pm
2011/10/07 - 墓地の話
墓地に対して考えを持つようになったのは最近だ。
それまで、すなわち私が墓に対して明確な思いを抱いていなかった頃、その場所というのは、恐れておけばいい場所という認識だった。「実際に」恐れている必要は全くない。ただその不気味さと人々の精悍さを受け止めておけばいい、なんて思っていたのである。
墓地は山の中にあった。地方において、それは珍しいことではない。住宅が点々と並ぶ麓から狭い入口を通り、左は沢、右は傾斜となる道をゆっくりと進む。埋もれるような杉の木と雑草。今は道が舗装されているが昔は砂利だったと、父が毎度思い出したように呟く。今でも大型車が通れないほど狭く、車同士が擦れ違うには大変な労力を必要とした。そういうわけで墓地を行き来するときは向こうから人が来ませんようにと願うのが通例である。
八分して、道が開ける。小さな空き地、物置小屋、設置型トイレ、水汲み場。そしてそこから傾斜二十度、どこかオーケストラの配置のように半円形の場所。その場の演奏者として並ぶ直方体の石。
天気によって、その景色は変わる。お盆の期間は朝早くから明るい光が差し込むが、お彼岸の時はいささか暗く、お供え物を狙った鴉の声が反響する。彼らの叫びすら寂しげに聞こえるのだから、自らの先入観というのは強烈なものだ。
あの頃の恐れはいったいどこから来たのか。
今でこそ、あの墓地の見晴らしのよさにちょっとしたポジティブな思いを抱くようにはなったものの、やはり押し付けられるようなあの感情は忘れることができない。単なるお墓参りに一体どんな圧力があったのか。考えても明確な答えが出ない。
まず挙げられるのが、死に対する単純な恐怖。否定することはできないが、それほど大きくはなかったと思う。「ここに多くの人が眠っている」ことと「自分もいずれここに眠ることになる」というのはあまりにも想像しにくい。子供の頃なら尚更だ。
墓という物に対する恐怖。それもなさそうだ。あの場所、整然と石が並ぶ様や纏う閑静な空気に起因しているのならば、例えいつになっても恐れを克服することはできないだろう。だが今の私は、昔とは違う思いを抱いている。
ここまで考えて、私は再び、子供の頃を思い出す。
掘り返してみると、墓地での作法というものを子供の頃の私は理解していなかった。すなわち両親に連れられて荷物を持って乗用車に乗り、着いてから帰るまで大人の真似をしていただけである。
両親の行動は決まって同じだった。それこそ行き帰りの会話でさえも。
母がペットボトルの水で石を洗い、花を差し替え、お供え物をする。父がまわりの掃除をし、包装の新聞紙で線香一束に火をつける。私はその間どちらかの手伝いともいえない手伝いをする。線香を供え、父が手を合わせ、母も手を合わせ、私もまたそれに倣う。
続けて父が先導し、近所の家の墓をまわる。線香を三分割して皆に持たせ、数本ずつ供えて手を合わせる。同じ行動を一〇軒ほど行う。父が私に、このお墓は何処何処のお家だ、と説明してくれる。私は屋号で説明されても分からず首をひねる。そうすると父が屋号についての説明を加える。「境」というのは地区の境界にある家につくんだ、なんて。母はその横で、この家はもうお参りに来たようだね、なんて言う。
三人で戻り、持って来た包みを手に持ち、傾斜を下って車へと戻る。烏の鳴き声が変わらず響く。火は大丈夫かと母が心配する。大丈夫だろうと父が答える。扉を閉めると発進する。私は後部座席の窓から、墓石を、水汲み場を、駐車場を眺める。景色はやがて沢と森に変化する。あと七分すればいつもの街へと戻るだろう。
怖かったのは、人の振る舞いだ。
恐れていた。墓参りをする全ての人の行動。まったく同じ話と行動をする両親。変わらず続くしきたり。ここに多くの人が眠っていることと自分もいずれここに眠ることになることを考えない、無心な行動。
死者への思いで手を合わせるなら分かる。だけど皆、墓に手を合わせている。そんな気がしてならなかった。
地方にはありがちなことだが、宗教というのは生活に根付ききったルールである。従わなければ、自らの家のみならず近所中から白い目で見られる。義務というより、継承儀式。
地区の家で法事があれば、各家庭は手伝いに行く。よほどのことがなければ拒否権はない。父も母も黒き衣服を纏い、すぐ帰ってくるから、と言って家を出る。私と姉はその間留守番をして、不安な時間を過ごす。
嫌だったのだ。形式的な宗教行事が。もはや本来の意味を失った義務が。
今年、実家に戻り、彼岸に再び墓の前で手を合わせた。
改めて墓地を眺める。前よりも道路が綺麗になった。烏の鳴き声が減った。半円形のその場所がより涼しげに見えた。こっそり傾斜を登り、最も上の墓のあたりで振り返った。一八〇度の景色が美しく見えた。
形式的な行事も、今の私なら怖くはない。
いつかここで眠ることになるのか。はじめてそのことに、意識がいった。
2011 / 10 / 7 • 7:52 pm
かえれない世界
帰ってきたら ベッドに寝転ぶ
ご飯食べたら 世界を作る
いつも満ちてたはずのあの頃 微笑んで
いつか壊れるはずの未来を 儚んで
手を入れたって 世界変わらない
色塗ったって 世界染まらない
このあまりに綺麗な世界が 何時か私から離れてく
綺麗さを 身体に映し 汚さを 心に圧して
変えれない この世界が硬い
学校の朝は みんな騒いでる
放課後の帰路は 世界を壊す
殴りつけたって 世界曲がらない
蹴りつけたって 世界動かない
このあまりに軟い世界が 何時か私を絞めていく
綺麗さを 身体に映し 汚さを 心に圧して
代えれない この世界が鈍い
死んだらいったいどうなるの? 生きてていったいどうするの?
私は怒って言うだろう そんなの知ってどうするの
このあまりに寒い世界が
このあまりに丸い世界が 何時か私を過去にする
綺麗さを 身体に映し 汚さを 心に圧して
帰れない この世界が憎い
2011 / 8 / 8 • 8:20 pm
voice-02
・
私の手が屋上から手紙を撒き散らす。風に乗って塵が空へ飛んでいく。
とうとう、あきらめた。
私みたいなのがあがきちらすのは、所詮無理だったことを、やっと、やっと認識した。
・
私の体がフェンスに寄りかかる。金属が軋むような音を立てる。
ただ彼女に想いを伝えたかっただけなのに。
みんなに邪魔される。駄目だって私を矯正し強制する。
・
私の足がコンクリートを踏みなおす。硬い感触が骨を伝う。
今はもういい。手紙を破ろう。
でもいつか、この言葉を響かせてやる。みんなという壁を打ち破る。
・
私の声が世界に響き渡る。空気が震え衰えていく。
ばいばい、彼女。
こんにちは、あきらめた私。
2011 / 7 / 25 • 10:53 pm